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哲学問題としてのテクノロジー

  • 2007年11月 6日 13:48
  • モノ

Yahoo!Japanのトップニュースにも入ってたけど、
噂のGPhoneことGoogle携帯の全貌が明らかになった。

参照:Googleプレスカンファレンス速報:Android・OHA質疑応答

ふたを開けてみれば、オープンプラットフォームAndroidの提供と
アライアンス企業の発表。

たしかにGoogleの戦略はそうだよな、と思いつつ、
数々のエスタブリッシュメント企業を従えて
旗を振るなんざ、気に食わないねぇ。

Googleは時価総額でいえば、今や全米で5番目の大企業で、
プロクター&ギャンブルよりも上で、AT&Tの下。

「結局は仕組みをつくったもん勝ち」みたいなことは、
訳知り顔の人たちから、「ビジネスモデル」って言葉を
やたらと聞くようになった頃から言われているけど
それって正しいけど、ちっとも面白くない。

Google Earth を初めて使った時は感動した。
いや、もっと言えば、Googleを初めて使った時や、
自分のホームページが初めてサーチエンジンにエントリーされた時、
本当に感動した。

仕組みをつくることなんて考えてなくて、
人間の側(それって「こちら側」?)に立っている気がした。

なんか、
今回のGoogleの描く壮大な絵には、
たしかに圧倒されるけど、ちょっと肌寒い。
テクノロジーには、仕組みより先に、断固として感動を求めたい。

だから僕は、
SONYのROLLYだって気になるし、
分けも分からず、さしたる収益モデルも無く、
つくってしまったニコニコ動画が大好きだし、
防衛省がガンダムのファンネルみたいな迎撃装置をつくったというニュースにだって、
思わずガッツポーズしたくなる。

ただ意味もなく、面白い物を真剣につくる人が大好きだ。

そういう人がきっと日常を豊かにすると思うし、
できることなら、自分もそういう人間でありたい。

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